大学のメディア論の授業で有徴、無徴という考え方を知りました。私はこの概念を知って、日頃感じていた漠然とした違和感の理由がクリアになりました。主に文化人類学や表象文化論で重要視される概念です。
俳優と女優。
少年と少女。
作家と女流作家。
医者と女医。
これらの言葉を扱う時、違和感がありませんか?
この場合、前者が無徴語、後者が有徴語となります。ジェンダーを考える際に、この有徴・無徴という考え方が注目されています。
有徴とは、簡単にいうと、他とは区別するしるしがあるということです。
ある一つの村には、99人の村人と、1人の長がいるとします。長だけは特別な衣装を着ているが、他の村人は皆同じ服を着ています。この場合に、長の衣装には有徴性があるということになるのです。
このような概念は、言語にもあらわれます。日本では、男性が就くことの多い職業名は、本来性別の区別はない無徴な語でありながら、男性であることが前提となってその意味に内包されています。したがって、女性である場合は、それを示した有徴な表現を用いるのです。
看護婦は、看護師と言われるようになりました。これは有徴な表現が無徴な表現に置き換えられたのだということができますね。
有徴な表現を用いることは、あえてそれを他から切り離す事も意味する。「LGBTQ+」という言葉は、セクシャルマイノリティを有徴化した言葉である。そうすることで、世界に少数者の存在を知らせることができる。最終的にはこの言葉が使われなくなり、すべての人々が各々のセクシャリティにおいて無徴となったとき、誰もが生きやすい本当の平等が訪れたと言えるのではないだろうか。